辛く苦しいブラジル横断、だけど何だか寂しい


「ビール、奢ってやるから来いよ」



実際に何と言われていたのかは、わからない。ただ、バスで同乗している5人組のブラジルに声をかけられてついていくと、本当に缶ビールを渡されたのだから、そんなことを言われていたのだろう。



バスで60時間かけてのブラジル横断は、思った通り辛い。いくら設備が整っていようが、動きに制限があるために体中が痛くなっていく。テレビに流されている映画は、ポルトガル語。当然、わからない。インターネットに接続しても、日本のバスよりもはるかに揺れる車内では、車酔いを促進させるだけ。



いくら目を閉じても、眠りには落ちない。当然である。今、起きたばかりだ。



寝て、起きて、また寝る。起きて、さらに寝る。再び起きても、バスはまだ同じ荒野を走っている。



永遠に続くかのように思える旅路だが、朝昼晩と何時間に一度、30分の休憩が設けられている。サービスエリアと表現するにはあまりに粗末な作りだが、それでも食堂や売店が置かれ、乗客は思い思いに時間を過ごす。とは言え、こちらはポルトガル語はサッパリ。バスに乗り遅れてはかなわないと思い、束の間の休憩でも張りつめている状態が続いていた。







そんなこちらを知ってか知らずか、何度目かの休憩で五人組に声をかけられてついていくと、朝から缶ビールで一杯やることになった。



「お前、どこ行くんだ」



「フォルタレーザか、俺達はマラニョンだ」



「いいよ、いいよ。奢ってやるよ」



言葉はわからないが、何となく言いたいことは伝わるものなのだろうか。あるいは、相手が優しいだけか。1本の缶ビールが打ち解けさせたのか。理由はわからない。それでも、以降は休憩毎に「メシ、行こうぜ」と誘ってくれるようになった。あまりに物欲しげだったのか、売店でアイスを眺めていると「出してやるよ」と、御馳走になったりもしていた。



ありがたいものである。



物を恵んでもらえている喜びではない。言葉もわからない外国人を気にかけてくれている、その心遣いがである。







マラニョンに行くと言っていた五人組は途中下車となったが、その後も色々と声をかけてくれるブラジル人は絶えなかった。食事休憩になっても寝ていると、「食べないでいいのか」と。運転手の交代とともに、バスを乗り換えることになると、「今度は向こうのバスに乗ればいいんだ」と。



途中乗車と途中下車が繰り返され、バスの乗客は入れ替わり、フォルタレーザが近付くにつれ、徐々に乗客は減っていった。それでも、誰彼なしに声をかけられる。ブラジル人の優しさに触れていると、あれほど寝ていたはずなのに、いつの間にか再び眠りに落ちていた。



「着いたわよ」



女性の声によって目を覚ますと、朝日を反射させている窓には荒野ではなく、騒がしい街並みが映っていた。



出発から、きっかり60時間。苦しく辛かった長旅は、どこか名残惜しさを残しながら、ついに終わった。


【プロフィール】
小谷紘友(おたに・こうすけ)
1987年、千葉県生まれ。学生時代から筆を執り、この1年間は日本代表の密着取材を続けてきた。尊敬する人物は、アルゼンチンのユースホステルで偶然出会ったカメラマンの六川則夫氏。

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